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県連役員挨拶
青森県生協連副会長理事 内田 弘志 (八戸医療生協・副理事長)
青森県生協連副会長理事 内田 弘志 (八戸医療生協・副理事長)
青森県生協連副会長理事
内田 弘志
(八戸医療生協・副理事長)

 「100年に一度」を想う

 この2月、103歳の組合員・Kさんを訪ねる機会があった。八戸医療生協では100歳を迎えた組合員さんの長寿をお祝いすることにしていることから、遅ればせながら入所先の特養ホームを訪れたのであった。Kさんは思いのほかお元気なようすで、スタッフのみなさんと車椅子で迎えてくださった。

 初対面でもありこわばった表情を見せていたKさんも、玄関で別れる時にはスタッフのみなさんといっしょに手を振ってバイバイしてくださった。Kさんのさらなる長寿を祈りたい。

 そのKさん、明治39年(1936年)生まれである。今、100年に一度の経済危機・くらしの危機が叫ばれているなか、Kさんは二度も「100年に一度の危機」に遭遇したことになる。

 100年前、どんな危機に直面されたのだろうか。日露戦争前後の日本である。家族からは3歳の時に現在の姓のところに養子になったと聞いた。

 「はたらけどはたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」の作品を残した石川啄木は、Kさんが6歳の時に26歳の若さで亡くなっている。小林多喜二は26歳の1929年に「蟹工船」を世に出し、4年後の1933年2月20日、治安維持法違反で不当検挙されその日のうちに特高警察の拷問によって命を奪われた。

 2月20日は偶然にも石川啄木の生誕の日と一致する。そして今、80年前の「蟹工船」がベストセラーとなり、56年前に製作された映画「蟹工船」が各地で自主上映され、2月21日、八戸でも上映した。ちなみに、100年前の1909年は、日本における生協の礎を築いた賀川豊彦が神戸のスラム街で貧しい人々の救済活動を始めた歴史的な年でもあった。

 
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